071209 最近、仕事が忙しい。 11日(火)までに4つのレポートを仕上げなければならない。 土日はつぶれてしまっている。 しかし「仕事を、し過ぎてはいい仕事はできない。 息抜きも必要だ。」と、まだ仕事のめども立たないのに出かけてみた。 以前から気になっていた17年ぶりにリニューアルオープンした広島県府中市の老舗旅館「恋しき」を訪れた。 「恋しき」は明治5年創業、平成2年廃業。 平成19年、再オープン。 11月18日にオープンして、しばらく経っているので人出も落ち着いていることだろう。 恋しきの命名と由来 明治5年、土井利助は土生から出て町の中心に、旅館土生屋を開業した。 豪遊財界人延藤友三郎が、旅館土生屋なんて野暮だと、「恋しき」と命名した。 3階建ての母屋、格子戸が良く似合う 「お宿 恋しき」 敷地面積は約2700平方メートル。 母屋は木造2階一部3階建て延べ約800平方メートル。 1階には茶店、2階の大広間(44畳)はイベントに使用。 離れ5棟は小料理店や喫茶店、茶室などに使用している。 四季の美が楽しめる日本庭園は広さ約1000平方メートル。 東屋も設け、情緒ある流水も復活している。 国の認定を受けた府中市中心市街地活性化基本計画の主要事業の1つとして、地元財界有志が2年前、「株式会社恋しき」を設立。 土地取得を含め2億円をかけて保存・再生事業が2007年6月から進められていた。 木造3階建ての母屋 府中は、大化の改新後、備後の国府がおかれた古い歴史を持つ街として発展してきた。 かつての石見銀山に通じる石州街道の要衝として栄え、商品経済が発達する江戸時代には、 周辺の特産品や山陰・中国山地の産物が、この石州街道を経由し全国に運ばれた。 宿駅のあった府中はこうした産品の集散地として隆盛し現在の街の原型ができ上がった。 本格的な日本庭園 ぶな科 柏(はく) 樹齢約1000年 玄関に吊り下げられている魚鼓 右下の写真にある魚板、または魚鼓(ギョ・クと読む。 ギョ・コと読む人も居る)は、禅寺などで、魚の形をした板を吊って、時刻の合図などに木槌で叩き鳴らすものである。 良く食堂(じきどう)の前などにある。 彫刻された立体的なものから、平板な板状のものものまで種々の形のものがある。 魚の中央にある丸い部分は「撞座」と言いここを木鎚で叩く。 よく観ると口には龍と同じように「玉」を咥えている。 形も鯉のような図柄から鯱鉾(しゃちほこ)のようなものまで様々である。 「恋しき」に宿泊した犬養毅の写真も 日本古来の魚鼓 恋しきを訪れた人々 「恋しき」を語る時忘れてはならないのが多くの著名人である。 先にあげた犬養毅をはじめ、選挙応援のために、岸信介元首相、福田赳夫元首相、鳩山威一郎元大臣などの政界人の宿泊。 あるいは、戦後吉川英治が音戸の瀬戸を取材し、長期滞在して「新平家物語」を執筆、当主夫妻と吉川夫妻の没後まで続いた交際。 小説「蒲団」にも、恋しき宿泊の記載がある田山花袋。 週刊朝日に恋しきを紹介した永六輔ほか梶山季之、戸川昌子、高木東六などの著名作家と府中人の出会いの舞台が「恋しき」であった。 庭園の池には外堀から水を引き込み鯉が放たれていた。 当時は尾道より山越えで鮮魚などの食材をかついで運んだそうだ。 そうした材料が不足すると、池の鯉を料理した。 その鯉料理がみごとで「鯉一式」とした時期もあった。 今でも「鯉一式」と記された食器類などが現存している。 敷地内のカフェは落ち着いた照明が・・ カフェから見る庭園 恋しき CAFE「すいれん」 庭園の脇にある離れに、恋しき cafe「すいれん」がある。 「すいれん」の店内から庭園を眺めながらお茶が楽しめる。 席数はそんなに多くない(パンフレットには15席とある)。 しかし、恋しきに訪れたならぜひ寄りたいところ。 雰囲気はいい。 府中に行かれた際にはぜひお立ち寄りください。 「忙しい時だからこそ、のんびりと庭園をめぐり、ゆっくりとお茶を楽しみたい」と思い、来てみた。 しかし、忙しいときには仕事が気になる。 仕事が落ち着いたときに、またゆっくり来てみたいものだ。 topicspageへ