加茂史跡めぐり    091212


最近、歴史ものが気になる。

職場の地域で「史跡めぐり」という企画がある。

加茂学区まちづくり推進事業(世代間交流事業)として行われるらしい。

自分の住んでいる地域にもユニークな歴史がある。

職場がある加茂町にも興味深い歴史がありそうだ。

朝、9:00集合。 昼まで、徒歩で10ヶ所ほど説明を受けながら史跡を巡る。

出発地の加茂中学校へ行ってみると、たくさんの人が参加されている。

お年寄りから小学生まで年齢層は広い。100名近い人たちが参加されている。


        

                  出発式で加茂学区まちづくり推進委員会会長さんの挨拶


今日の史跡巡りは、加茂公民館・加茂歩こう会・加茂中学校が中心になって行われるものらしい。

出発会が始まる。

この行事の意義、経路、諸注意などを確認し、出発する。

最初のポイント、四つ堂(六斎堂又は六才堂)には5分ほどで着いた。


    


備後の国には、江戸時代からこのような四本柱のお堂が山陽道脇に多く建てられ、道行く人の憩いの場となった。

この四つ堂前の道は、1600年代には東城の小奴可から神石、服部、永谷、加茂と通じ岩成で石州街道に

合流していたらしい。道幅は七尺(2mほど)であった。

山陽道の道沿いには、四つ堂のほかにも道しるべや距離を示す一里木が置かれていた。

次に、倉神社へ。


    


倉神社は、1074年には現在の四つ堂(六斉堂)あたりにあったとされている。その後焼失し、1532年杉原氏

により現在の場所に再建された。1662年水野氏によって本殿、拝殿などが建立されている。さらに1847年、

1862年、1926年〜1929年に大改修が行われている。

次は下鴨小学校跡


    
                                          現存しているのは、この石垣のみ


1872年(明治5年)8月に学制令が公布された後、1873年(明治6年)に下鴨小学校が置かれ、下等(6才〜9才)

上等(10才〜13才)の子どもたちが学んでいた。1887年(明治22年)には高等(14才〜16才)も加わり尋常小学校

となり、法成寺・北山・百谷・粟根・芦原・中野・上加茂・八軒屋・下加茂の9ヶ村の子どもたちが通う学校となった。

次は猪之子古墳





次は、不思議な墓


    


水野家2代目藩主であった勝俊は、狩猟、相撲、能楽などの趣味をもっており、相撲などの大興行を行っていた

と伝えられている。古くから地元の人々の間では、力士の墓と伝えられている。


次は、常夜灯(琴平社)


    


この常夜灯は1845年に建立された。倉神社。妙見神社の礼拝所として建てられた。

常夜灯の脇には、20貫〜32貫の重さの力石が置かれている。祭などでこれを持ち上げ力比べをした

と伝えられている。


この行事で気付いたこと

@ 異世代間の交流ができた
   地域の子どもたちとお年寄りがコミュニケーションをとる機会はめっきり少なくなったが、
   この行事では、史跡についての交流などの話で盛り上がっている場面を見ることができた。

A 地域の歴史を学ぶことができた
   子どもたちが見慣れた身近なものの歴史や言い伝えを知り、より地域に興味や親しみを感じることができた。

B 地域の情報交流ができた
   いろんな人たちが地域の話をすることで今の地域の情報交換をすることができていた。


関係ないかもしれないが、昔は力持ちの人が多かったのだろうか。

常夜灯の力石、60kg台と100kg台の石がたくさん置いてあった。

お祭りで一杯飲んでは、あんな重い石を頭上に持ち上げて力自慢をしていたなんて。


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