チャランゴ コンサート     121123



1ヶ月ほど前、カフェ「スペース461」のマスターから『チャランゴコンサート』の案内を頂いていた。

チャランゴとは、音楽のジャンルでいうとフォルクローレで使用される弦楽器で、日本ではあまり馴染みのない楽器である。

午後2時からのコンサートへ出かけてみよう。



先ず、今日のコンサートの予習をしておこう。 

今日の演奏者「吉田徳明」さんについて

1961年 大分県国東町生まれ、中学時代からギターの弾き語りを始める。

1985年 沖縄にてアルゼンチンのフォルクロリスタ、シルビオ・モレーノ氏と出会い南米の民族 楽器「チャランゴ」の音に魅了され、

      それ以来チャランゴを学び始める。電気メーカー関係の仕事に従事していた。

1988年 電気関係の仕事を辞め、青年海外協力隊員として南米「ボリヴィア」へ派遣され3年間滞在する。

      
 ボリヴィアではデジタル制御の技術指導を行なう傍ら、チャランゴ奏者のW・E・セン テージャス氏、アレハンドロ・カマラ氏、

      ヘラルド・パレハ氏に師事する。

1991年 帰国。毎年「日本漫遊チャランゴ弾き語りの旅」を続ける。

1993年 自己充電のため、ボリヴィア、ペルー、エクアドル各国を旅する。

      帰国後、電気関係の仕事に復職せず。「インティ・キジヤ日本漫遊チャランゴ弾き語りの旅」を続けている。



今日使用される楽器について。 

チャランゴ  : フォルクローレで使用される楽器で、大きさはウクレレ程度。 

          弦長37cm、10本の弦、共鳴胴にはアルマジロの甲羅か木彫りのものが使われる。

サンポーニャ: 2組の楽器を縦に重ねて交互に吹くことで一通りの音階が演奏可能になる。 パンフルートに似ている。

ケーナ     : シンプルな縦笛。 俳優 田中 健 が吹いているあの楽器である。素朴な音色にフルートの華やかさを併せ持つ響きがある。

          「コンドルは飛んでいく」などの音色で有名だ。







                






1時40分、カフェ「スペース461」に着く。 カフェの中に入るとコンサートの常連さんも何人か来ておられる。

が、いつもよりお客さんは少ないようだ。 客席は18人ほど。 やはりクラシックのコンサートのように多くない。

まだ日本では、「フォルクローレ」というジャンルはあまり認知されていないのだろうか。






                






2:00、コンサートが始まる。 吉田さんが、チャランゴを弾きながら登場する。

先ず、ステージに掲示してある言葉についてユーモアのある説明が始まる。 

「インティ・キジャ」とはアンデス地方に住むケチェア族の言葉で太陽{インティ〉と月〈キジヤ)を意味する。

中国の古い思想にすべてのものは陰と陽から成り、五行のかかわりを持つという考え方があるが、

ここでは太陽と月、まさしく生体系を司りそのあり方をもの語るという大きな意味を持つ。 

また、故郷大分の方言で「不正行為」のことを「いんちきじや」と言い、「インティ・キジャ」とダブらせている。

今日のコンサートでも、「いんちき」があるかもしれませんが悪しからず。そう思って聴いていただけると緊張せず演奏できます。

と、聴衆を引き込むユーモアたっぷりのMCで始まる。






                   






第一部はどっぷりとフォルクローレの曲が続く。

カンポ、モレナードの組曲、クワンパーハのビダ−ラ、滅びゆくインディオの哀歌、ポコアポコ、等々・・。

エルコンドルパッサ(コンドルは飛んでいく)も聴くことができた。 珍しいところでは「荒城の月」も演奏される。

一部では8曲聴くことができた。



10分間のティータイムを挟んで第二部に入る。 

二部は、サンポーニャで始まる。 この楽器は演奏が難しそうだ。 日本の雅楽でいう「笙の笛」を大きくしたような楽器だ。

続いて、ケーナでフラウタデインカという曲。 またまたフォルクローレが続く。

フォルクローレとは、南米の民衆の生活の哀歌を描いているものだ。 ただ、フォルクローレを原語で聴くと意味がわからない。

前後の説明でイメージくらいはつかめる曲もあるが、多くの曲は具体的にはわからない。 ちょっと残念だ。

二部では、7曲を聴くことができた。 

続いて、アンコール。 「しあわせによせて」という日本語のタイトルが付いた曲で終演になる。






                






フォルクローレの楽器の音を聴いて思うことは、「雑音の大切さ」だ。 

チャランゴは、もともと南米にはなかった楽器で16世紀ごろスペイン人宣教師が持ち込んだギターを見て南米の人達が作った楽器だ。

サンポーニャやケーナはインカ帝国時代から南米にあった楽器だ。 これらの16世紀以前からあった楽器は、無駄な音が混じる。

無駄な音というと雑音や息づかいの音が混じったり、音がかすれたりする。 しかし、これが逆に効果的なんだそうだ。 

演奏者の心情を表現するのには効果的なのだそうだ。 今日の演奏を聴いて確かにそう感じる。

現在のクラシック音楽に使用される西洋楽器は、無駄な音が極限まで抑えられている。 これでは味気ない。

日本酒にたとえると、西洋音楽に使用する楽器は「純米大吟醸」、フォルクローレに使用する楽器は「どぶろく」だと吉田さんは言う。

なるほど、うまい説明だと思う。



今日は、初めてフォルクローレのライブを聴いた。

いろいろ音楽以外にも考えるきっかけをもらったような気がする。

曲の合間に様々な語りがあった。 そのうち1〜2ほどしか載せていない。 すべてを載せることはできない。

「南米の歴史について」、「幸せの意味」、「楽器の善し悪しについて」、「様々な文化の継承について」等々・・・。

様々な刺激を受けることができたフォルクローレライブだった。

カフェ「スペース461」のマスター、ありがとうございました。


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