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昨年末の12月、土日を3日間かけて、町内会でとんど制作を行いました。
1日目は、とんど会場になる河川敷の除草作業、次の2日間は、とんど本体の制作を行いました。
また、それ以前の10月から、とんどに取り付ける今年の干支である「ひつじ」の制作が始まっていました。
町内会役員のみなさんには、事前準備から今日の早朝にかけて大変お世話になりました。
本部テント・飲食用のテーブル・イスなど会場全体の設営や豚汁・おでん・飲み物などの調達準備などすべて行って頂きました。
自分は、残念ながらこの準備に参加することはできませんでした。
本職の仕事で、12月は持ち帰り仕事が多く自宅で缶詰状態で仕事の処理に終われていました。
仕事の処理が遅いという理由と、じっくり一人で考えて処理したいという理由で自宅に持ち帰ることになります。
我が家から準備中の河川敷が良く見えました。 町内会のみなさん、大変な制作・準備を、ありがとうございました。
全国的に見ると、とんど祭りは、小正月(1月15日)にそれぞれの地域で行われる火祭りです。
そこで、旧年の神棚の御札・正月飾り・門松・注連縄・習字作品等をお焚きあげする民間の伝統行事です。
この祭りは、地域でいろんな名称があるようです。 「とんど」、「どんど」、「どんどやき」などと言われているようです。
どの名称も、火がどんどん燃えている様子が、この名称のもとになっているようです。
我が町内でも、このとんど祭りは、自分が幼少の頃から小規模なものが町内全域で行われていました。
もちろん、それ以前から続いていた伝統行事のようです。では、いつ頃から始まったものなのかは、分かりません。
自分のじいさん、曾じいさんの幼少時代からすでに行われていたものらしいです。
また、この地域・この町内・備後地域のとんど祭りについて調べてみるのもおもしろいと思います。
歴史的に調べたものに、『とんど祭りの変遷(備後国・福山市の歴史を研究する)』「備陽史探訪の会著」などがあるようです。
興味のある方は、ご覧ください。
ということで、我が町内でも小規模なとんど祭りがそれぞれの小地域で昔から行われていました。
ただ、祭りの規模は、大変小規模なもので、地域地域の数軒単位で、行われていました。
とんど祭り当日の夕方、竹を数本ナタで切り出し近くの田んぼに、高さが3〜4mほどのミニとんどを制作していました。
その中に、正月用品や古い御札などを入れて焼き、その残り火で餅を焼いて食べていました。
とんど祭りの火で焼いた餅を食べれば、また火で暖まれば、1年間元気で過ごせるそうです。
とんど祭りの火で、練習した習字の半紙を焼けば習字が上達する等々、当時から言い伝えがありました。
我が町内も時代の変遷と共に、ここ20〜30年の間に、町民のみなさんもみなさんの家族構成も大きく変わってきました。
他地域から来られた家庭や、核家族の若い家庭が増えたり、お年寄りだけの家庭も増えてきました。 町内の家庭数も大きく増加しました。
すると、他地域から来られた家庭から、「小地域ごとのとんど祭りや行事に参加しづらい」「とんど祭りには参加したいけども・・・」等々の声が聞こえてきました。
そこで、「なんとかみんなが楽しめるとんど祭りにできないものか」「新しい人も古い人もみんなで楽しむことができる町内会行事を」ということがきっかけでした。
町内会全体で、『第1回○○町内会とんど祭り』が、開催されたのが18年前。
その年の『町内とんど祭り』には、町内のほとんどの家庭に参加して頂くことができました。
それ以来、ほとんどの家庭に参加して頂き、毎年続けることができる町内会行事になっています。 最近は、参加者も増加傾向にあるようです。
町内の方の知人・町内の方の親戚・近隣の住民の方も参加して頂けるようになっています。 毎年、多くの参加者で賑わっています。
11:45、町内会長さんの挨拶で、○○町とんど祭りが始まる。
『昨年は、全国各地で不幸な災害が多発したが、今年はよい年になるよう祈念しながら、とんど祭りを挙行しよう』という旨の挨拶がある。
年末から河川敷に建てられていたとんどと開会の挨拶をする町内会長さん
続いてご祝儀を頂いた皆様のご芳名が読み上げられる。
さあ、とんどに点火です。 毎年、点火担当者は今年の干支にあたっている人たちがすることになっています。
毎年、10〜20人くらいの人たちが点火用のトーチを持ち、とんどを囲みます。
さて、今年は・・・・あれ!? 今年の干支、「ひつじ」の町民のみなさんは・・・6人? 今年は、こんなに少ない?
ちょっと、寂しい点火の場面になりました。
右側の6名が今年の干支にあたる人たち(点火する人たち)です
6名の方たちに、トーチが手渡され、とんどを取り囲みます。
今年、大とんどの正面で点火されるのは町内最高齢の96歳になる元気なおじいさん、Tさんです。
他の点火者のみなさんも、今日のとんど祭りへの参加者のみなさんも、Tおじいさんから元気をもらえそうです。
12:00、「点火」の合図と同時に大とんどに、四方から点火されます。
火は、一気に大とんどのてっぺんまで駆け上がります。
未(ひつじ)年の人たちによる点火 火は勢いよくとんどを包み込む
町民のみなさんは、一様に燃え上がる大とんどを見上げています。 みなさん、『今年1年、よい年でありますように』と祈願されていることでしょう。
あっという間に、とんどの表面が焼け落ちてしまう。 そして、7〜8分後には骨組みだけになってしまう。
すぐに表面は燃え尽きてしまう 骨組みだけになる
崩れ落ちる場面では「あ、あ〜」という声が・・ 崩れ落ち始める、やがて餅焼き用の炭に変わっていく
ここで参加者のみなさんが、食事会場へ移動を始める。
参加者のみなさんは食事会場へ移動する
おでん・豚汁・漬け物と竹の徳利で温めた熱燗の日本酒を竹のおちょこで頂くことができる。
参加者のみなさんの歓談が始まる
男性のみなさんは、熱燗の竹製おちょこをすすりながら、おでんを食べながら会話が弾む。
女性のみなさんは、豚汁・おでんを食べながら井戸端会議が始まっている。
自分はというと、昨日の出港の後、僅かばかりの釣果を行きつけの居酒屋に持ち込み、文字通り釣れた魚を肴(さかな)に呑んでしまった。
昨晩は、ちょっと飲み過ぎたようなので、今日は、せっかくのおめでたいお酒だが、遠慮するとしよう。
その代わりに、おでんと豚汁・おにぎりはしっかりいただく。 そして、貴重な地元の人たちとの会話もしっかり楽しませていただく。
今、しっかり地域の人たちとのつながりを意識して大切にしたいと思っている自分がいる。 自分で自分のことを不思議に思う。
ふと、二十歳前後の若い頃の自分の感覚を思い出す。
当時は、東京の古い木造アパートで一人暮らしをしていた。 隣の住人は誰かも知らないというわけではなかったが、近所の人たちは全く知らなかった。
もちろん近所付き合いはなかった。 若い頃は、それが魅力だった。 そういう関係が気楽でいいと思っていた。
経済的に苦しい時は、馴染みの八百屋に行った。
店主にお願いして、廃棄処分の野菜を入れるポリバケツからキャベツの葉や一部が腐りかけたタマネギやにんじんをもらってきた。
定番の野菜炒めにして食いつないだ。 銭湯には数日に一回。 着るものは毎日同じ(もちろん適当に着替えはしていた)等々極貧生活も経験した。
たまに行く最安値の居酒屋には、500円玉をひとつ持参し、当時一本が90円の徳利を2本と安いおつまみ2品を注文するのが常だった。
近所付き合いはなかったが、熱中しているものがあった。 挑戦しているものがあった。 できればそれで生計を立てたいという希望があった。
その頃は、地元の人間関係・地域の付き合い等々、煩わしいものにしか見えなかった。 家業である農業は、一番就きたくない職業だった。
今では、考えられないことだ。 あのまま当時の生活をしていたらどうなっていたのだろうか。
人生は、もちろん二通りの生き方ができないのは分かっているが、当時の生活を続けていたら・・? と想像してみるのもおもしろい。
しばらく、歓談タイム・食事タイムが続いた。 やがて、みなさんが食事会場からとんどの方へ移動を始める。
そろそろ、とんどの火が、餅焼きの火になってくる頃だ。 餅焼き場所に替わったとんど会場へ行ってみる。
みなさん、今か今かと待っている。
ぼちぼち、中央の火種を自分の前へ移動している人もいる。 そろそろ餅焼きができそうだ。
自分の前にも火種を準備する。 その上に餅焼き網をセットする。
とんどの炭火を移動して餅を焼く 火力が強いので、油断していると焦げてしまう
食事会場で盛り上がった話が、今度はこの餅焼き会場でも盛り上がる。 あらゆる話がでてくる。
餅は、とんどの炭火で良く焼ける。 油断していると、すぐ焦げてしまう。 時々裏返してみる。
とんどの炭火で焼いた餅をひとつ食べて、残りの餅は持ち帰る。
14:00、まだ多くの人が歓談しているが、少し早めに失礼する。 焼き餅を食べ、とんどの火で暖まることができた。
地域のみなさんとも親交を深めることができた。 今年もよい年でありますように。
町内会役員のみなさん、いろいろとお世話になりました。