151114
今年の3月末で、みなさんより少し早く本職を退職した。 現在は、週3日非常勤に出ている。
元職を続けているような格好になっている。
しかし、退職前から「退職したら、ぜひやりたい」と思っていたことは、別に2つある。 それは、遊漁船の船長とギタリスト。
人生の中で一度は、好きな趣味を仕事にしてみたかった。
遊漁船の船長については、一応現在進行形だ。
所有している「一級小型船舶操縦免許証」に、「特殊」と「特定」も付けている。
「特殊」は、水上バイク(ジェットスキー)などの免許。 「特定」は、遊漁船・海上タクシーなどのお客さんを乗せて出港する免許。
しかし、「特定」があるから、すぐにお客を乗せるわけにはいかない。
営業するとなると、遊漁船業務主任者講習を受講して、実際に遊漁船で10日間以上の海上実習をすることが義務づけられている。
自分の場合、船舶免許の「特定」は以前取得していた。 遊漁船業務主任者講習も7月に受講し、受講証明書も取得した。
しかし、意外に難しいのが、海上での業務実習。 7月に、海関係の知り合いに遊漁船業者を紹介してもらうお願いをしていた。
しかし、まだ紹介してもらえない。 なかなか紹介してもらえない状況を聞いてみた。
いろいろ事情があるらしいが、早い話が、どうも根底に「商売敵を増やすようなことはしたくない」ということらしい。
海関係の漁協の組合員でもない自分にとっては、他にあてがない。
しかし、イイダコ釣りで、いつもお世話になっている「K渡船」さんには、なんとなくお願いしにくい。
遊漁船業者を紹介してもらうお願いをした知人からの紹介を気長に待つことにしている。
その紹介を頂いたら、実習をして実習証明書が揃う。
それらを、県の水産課へ提出して、遊漁船の営業許可と遊漁船番号がもらえることになる。
まだ、先は長い。 早くても、営業は来年の夏以降という雰囲気になってきた。
さて、もうひとつのギタリスト。
ギターとの出会いは、中学1年の時、近所のお兄さんが買ったばかりのギターを見せてくれたことに始まる。
それまで、「音」とは、無縁な生活をしていた自分だったが、その出会いは新鮮で強烈だった。
そのお兄さんが、ギターを持ってきて、ギター曲の定番「禁じられた遊び」のメロディーだけを親指だけで弾いてくれた。
ビシッビシッというとんでもない音で、アルペジオもないメロディーだけの音だったが、妙に感動したのを憶えている。
普通だったら、そのギターとの出会いだけで終わっていたかもしれないが、不思議なことにギター教室が近所にあったのだ。
当時の我が地域は、本当に田舎だった。 ギター教室などがあったこと自体不思議でならない。
親にお願いして、そこに通わせてもらった。
今、思い返すとそのギター教室の先生は、自分で楽しんでいるが、ギターの良さを伝えることは上手くなかったのかもしれない。
いやいや、自分が良い生徒ではなかったのだろうか。 1年間ほどで止めてしまった。
高校に入ると、ギターの影響か、同じ弦楽器のバイオリンがやりたくて音楽部に入り、オーケストラでバイオリンを担当した。
オーケストラの曲も、たくさん聴いた。 なかでもチャイコフスキーのピアノコンチェルトを聴いた時には涙腺が緩んだ記憶がある。
ギターと再び向き合ってみようと思ったのは、大学に入ってから。
ギター演奏の自分の癖は、一切取り去り、ゼロから基本通りの練習を繰り返した。
独奏と重奏、合奏用ギターを使って合奏の練習もした。 日本ギター音楽院でもお世話になった。
不思議と、合奏用ギターで合奏の練習をすることで、ギター本来の深いクリアな音色や曲想を追求することができたように思う。
合奏の練習がギター独奏をする時に、ずいぶん活かされていたように思う。
自分にとってギターは、若かりし頃夢中になったものの一つだ。
この頃には、コンサートをしたりコンクールにも出場した。
広島に帰ってきてからも3年?4年?ほど、勤労青少年ホーム(現:キャンプイン○○)のギター教室講師をしていた。
当時、日本産業音楽祭というものが催されていた。 ギター教室の生徒のみなさんとギター合奏団として出場していた。
その音楽祭で自分たちの演奏終了後、当時審査委員だったキダ・タロー先生がユーモラスな講評をして下さった記憶がある。
しかし、その後30年以上、ギターとは縁の無い生活を送ってきた。 もちろん大切な基礎練習もしていない。
だが、ここ数年、自分のやってきたことをみなさんにお返ししたい、音楽の感動を伝えたいと思うようになった。
ギター教室を始める? コンサートをする? ・・・・等々考えることが増えてきた。
いやいや、その前に基礎練習を再開してギターの感覚を取り戻さねば・・・、数ヶ月前から練習を再開した。
すると、やや感覚が戻ってきたような気がしてきた。
そうなると、「誰かに聴いてもらいたい」 「音楽の感動を伝えたい」という感情が高まってきた。
1ヶ月ほど前から、演奏をさせて頂ける場所を探している。
地元の○○駅に行って、「この駅の前辺りでギター演奏させてもらませんか?」と尋ねてみた。
しばらく駅長さんと相談してきた駅員さんは、「駅の前は、公共の場になるので、ちゃんとした許可がないとできません」と。
『じゃあ、この駅舎の中でも夜30分間ほど演奏させてもらえないかなあ』と思ったが、迷惑そうな雰囲気に、それを言うことなく諦める。
近くのカフェ「△△堂」にも、お願いに行ってみた。 「ギターのコンサートではなく、生演奏でBGMをやらせてくれませんか?」と。
ママさん「じゃあ、これに連絡先を書いてください」と。 その後、連絡はない。
また、次に「□□□□サロンカフェ」にも行ってみた。 ここは、以前ギターとは関係なく仕事の帰りに何回か寄ったこともある。
中に入って、ギター演奏のお願いをしてみる。 マスター「それは、かまいませんよ。やってください」とのこと。
その時、演奏する日は、今日の土曜日に決定していた。 13:30からということになっていた。
今日、13:00過ぎ、「□□□□サロンカフェ」へ行く。
中に入って、カフェの隣の部屋で指ならしをする。 けっこう、ここは音の響きはいいようだ。
カフェに入って、イス・譜面台・足台の準備をする。
また、隣の部屋で音を出してみる。 練習と曲順の確認をする。
また、練習をする。 カフェでも、よく響きそうだ。 アンプも持参しているが必要なさそうだ。 生音だけで演奏することにする。
□□□□サロンカフェ
13:30、演奏を始める。 カフェの客は2人のみ。
自分としては、ここでの演奏は、生BGMの演奏なので、聴いてくれる人はいてもいなくてもいい。
しかし、マスターが気を遣って、2階の会場に絵手紙を観に来ている人たちを呼びに行ってくれる。
マスター、『せっかくの演奏を聴いてもらわなくては・・』ということらしい。 自分は、ここではCDプレイヤーになりきろうと思っているのに。
カフェで流れているBGMになりきって演奏したいのだ。 お客様には、コーヒーを飲みながらお話もしてほしい。
寛いで、音を聞き流してほしいのだ。 今日は、そのためのリラックスできるような選曲にしている。
ところが、マスターに「ギターの演奏が始まりますよ」と、声をかけられたお客様が10人ほどカフェに入ってこられる。
みなさん、コンサート気分で、無言で演奏に耳を傾けておられる。 小声で会話もできないような雰囲気になってしまっている。
しかし、自分は、CDプレイヤーに徹して、曲目紹介もしないで、もちろんMCも一切無しで演奏だけを続ける。
ところが、マスター「曲目を紹介してもらえますか」と。 さらに「自己紹介もお願いします」と。
『そんなことを、するとコンサートになってしまうじゃないか』と思いながらも、曲名と自己紹介を簡単にする。
すると、予想通り、雰囲気は、「ギターコンサート」に。
お客様は、「し〜ん」と静まりかえった中で、聴いてくれている。
小声はもちろん、咳も、はばかられるようなミニコンサートになってしまった。
演奏曲目(今回の曲は、すべて小胎剛さんの編曲)
@ 愛の賛歌 A 蒼いノクターン B エーデルワイス
C エターナリー D エデンの東 E 聞かせてよ愛の言葉を
F この世の果てまで G スカボロフェアー H テネシーワルツ
I 峠の我が家 J 時計 K 野に咲く花のように
L フライ・ミー・トゥ・ザムーン M 慕情 N マイボニー
O 魅惑のワルツ
以上、全16曲でした。 13:30〜14:10
演奏者が、『そんなに緊張して聴いてもらわなくていいですよ。リラックスしてくださいよ』と、思ってしまうほど傾聴して頂きました。
今日は、「初めて」ということと「自分が予想していた雰囲気と違っていた」ため、緊張して疲れてしまいました。
今日の演奏は、1セットで終了です。
次は、お客様には、リラックスしてお話をしながら、BGMとして聞き流して欲しいと思います。
そして、生音の良さ、音楽の感動を味わって欲しいと思います。 おっと、その前にもっと練習しなきゃね。 質の高い演奏を目指します。
次回は、11月28日(土)14:00〜 です。 30分演奏、30分休憩で1セットです。
演奏曲は、2〜3曲替える予定です。
もし、スタミナが続くようでしたら、15:00から2セットめを始めます。