160829
3~4日前、家庭菜園の除草作業をした。 刈り取り後の雑草が枯れたので昨日焼却処分した。
今日は、次の作物植え付けようにミニ耕耘機で耕しておく。
7月も同様に、この家庭菜園の除草作業をしたのだが、その後がまずかった。
その後、枯れた雑草を、焼却するでもなくミニ耕耘機で畑を耕しながら土中に引き込むでもなく、放置しておいたのだ。
今回は、除草作業の後、枯れた雑草を焼却して、さらに牛糞堆肥を施肥し雑草を引き込む。
大根・白菜の植え付けは、どこにしようか? 今までどおり畑にするか、この家庭菜園にするか?
少々話は逸れるが、我が家のお年寄りは、数十年前、専業農家だった頃の感覚が染みついている。
しかし、現在は膝を痛めて畑に出なくなって久しい。 少しの草取りもできない。
一切農作業はできないのだが、野菜の栽培については我が家で一番詳しい。
野菜の植え付け時期になると、その時に植え付けをするであろう野菜の名称を何度もつぶやく。
最近は、「もう、大根(でゃーこん)と白菜(はくしゃー)を植えにゃあ、てゃーへんなことになろうが・・」とつぶやいている。
以前から、農作業ができなくなったお年寄りの指導(アドバイス)を受けながら、我々世代が野菜を植えている。 我々世代が実働している。
すると、必ず困ったことになる。 無駄なことになるのだ。
お年寄りは、何を勘違いしているのか、広い畑に大量に植え付けをしたがる。
自分が作業するわけでもないが、「・・・・に食べてもらわにゃあ、・・・・本を漬け物にせにゃあ、ちいたあ余分に植えとかにゃあ・・・」と。
大根や白菜に限らず、毎シーズン収穫時期には数百本の大根や白菜ができる。
我が家で、食す大根や白菜は1週間に1本ほどあれば充分なのだ。 ほとんど、あまる。
収穫シーズ終盤に畑全体を見て、「どこを収穫したのか? 収穫してないじゃないか」と思えるくらいあまってしまう。
お年寄りは、畑にたくさんの野菜がある光景を見て、『これだけありゃあ、食べられる・あげられる・漬け物にできる』と、安堵するのだろう。
その感覚を味わうだけの農業になっている。 大変、効率の悪い農業をしているのだ。
毎年、野菜の収穫期になると、我々世代にとって『てゃーへんなこと』になるのだ。
まだ、野菜を一切植え付けをしないで、必要なぶんだけ買って食べた方が、経済的にも労力的にも、はるかにいい。
今年こそは、小さな家庭菜園に「必要数+余分に少々」だけの植え付けをするとしよう。 毎年、そのような決意をしているのだが・・・、はたして・・・・?。
話を戻そう。
この家庭菜園は、まだ収穫途中のものもある。 全体を耕すわけにはいかない。 面積にして半分ほどの耕しをする。
ここを耕すときにはいつも思う。 このミニ耕耘機で耕すと、スッキリと耕した感じがしない。
しかし、この狭い家庭菜園にトラクターが入れないのでしかたなくミニ耕耘機で耕している。
ミニ耕耘機は、ロータリーで土を撹拌しながら前進をしている。 ロータリーには、前進する役割もあるのだ。
そうなると、ロータリーは高速で回転するわけにはいかない。 どうしても低速の回転になる。
その結果、土の撹拌が中途半端になるのだ。 トラクターのようにはいかない。 鍬で耕したような撹拌になる。
そのような理由でスッキリ感がないのだ。
まあ、このような耕しも味があっていいだろう。 予定していた部分をすべて耕すことができた。
作業中 作業後
家庭菜園の除草と耕し、ご苦労様でした。
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