201122
続いて、今日は、我が家の庭にある『明神神社』の祭りを行う。 1ヶ月前から府中八幡神社の神主さんと連絡を取り、打ち合わせを行ってきた。
また、明神神社とその周辺の環境整備も行った。 神社前で行う焚き火(御神灯)に使用する焚き木も準備する。
午後1時半。
八幡神社の神主(太夫)様が我が家に到着される。
すぐに、我が家の神棚(神様)前で、祝詞奉納が始まる。
リズムよく、バチで太鼓を打ちながら、祝詞は続く。
その後、お茶を出して喉を潤して頂く。 世間話や情報交換も。
続いて、神主様には庭の明神神社へ移動して頂く。
明神神社前の焚き木に火をつける。 明神様の前にお供え物を並べ、灯明(ローソク)に点火する。
神主(太夫)さんの祝詞が始まる。
明神神社の祠の前には、この神社に縁(ゆかり)のある我が家を含めて4軒の門徒のみなさんに、参列して頂く。
ところが、今年は、みなさん、所用が重なったりして参列して頂く方は、自分を含めて4名と、少人数でのお祭りになった。
祝詞奉納中
神主様の祝詞を拝聴しながら、今年も思うことは・・・・・・・、『昔は、賑やかな祭りだったのになあ。』
確かに、昔は、このようなお祭りがあると子供達が集まってきていた。もちろん、信仰心が深かったわけではない。
『お祭り』に、かこつけて集まり、おやつをもらって食べたり、普段できない遊びをしたりと、子供たちなりの参加の仕方があったようだ。
自分も、数十年前の子ども時代には、お祭りに行って、辺りが暗くなるまで遊んでいた記憶がある。
大人のみなさんは、飲み物を飲みながら話が盛り上がっていた。昼間のお祭りが終わっても、懇親会は夜まで続いていた記憶がある。
その中で、横のつながりや近所のお年寄りのみなさんとの世代を超えた繋がりもできていたように思う。
等々、時代とともにお祭りの様式も様変わりしていることに、寂しさも感じる。(今日の参列者:自分を入れて4名)
しかし、逆の見方をすると、神社の祭り担当としては準備する物も少なく、祝詞が終わると全体でのお祭りは終了するのだが・・・・。
この後、神主様は他の3軒の神棚に祝詞奉納に、回られます。
時代とともに、祭りの様式は、様変わりしていきますが、その時代に合ったやり方で、みなさんが納得できていればいいのかなと思います。
また、数十年後には、祭りの様式は変わっているかもしれません。 このような小さな祭りでも、無くなって欲しくはないと思います。
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