11月23日,午後2時半。「広島で紅葉の名所は仏通寺だ」という声を聞き,久しぶりに仏通寺へ出かける。山陽自動車道の三原久井インターを降りて市道50号を本郷方面に向かっていると仏通寺という看板がある。山間の川の傍に仏通寺がある。山道には紅葉が自然のアーケードを築いていて目を楽しませてくれる。川面に流れるもみじの葉も旅情を誘い眩しいコントラストが心に感動をあたえてくれる。

              仏通寺の紅葉 2006 11 23


     
               



              



     



                  


 臨済宗佛通寺派大本山佛通寺は仏通寺川沿いの「佳き山水の地」を選んで建立された。 そもそも佛通寺は,應永4年(1397年)小早川春平公が愚中周及(佛徳大通禅師)を迎え創建した臨済宗の禅刹である。 佛通寺の名称は,愚中周及の師である即休契了を勧請開山とし,彼の諡号(佛通禅師)を寺名にしたことを起因とする。小早川家一族の帰依を受けて瞬く間に寺勢は隆昌し,最盛期には山内の塔中88ヵ寺,西日本に末寺約3千ヵ寺を数えるに到った。
 しかし,応仁の乱の後に荒廃にむかい,小早川隆景の治世になってやや再興したものの,福島家そして続いて浅野家と権力者が変わるにつれて,しだいに当時の面影を失ったのである。しかし,明治期に入ると一転して法灯は大いに挽回され明治38年, 初代管長の寛量思休禅師のもと臨済宗佛通寺派として天龍寺から独立復旧し,参禅道場をもつ西日本唯一の大本山として今日に到っている。  (仏通寺HPより)


    



   


 愚中周及は, 美濃(岐阜県)で生まれ, 13歳の時に夢窓疎石(天龍寺の開山)の下で修行し, 後に春屋妙葩の下で修行した。19歳の時に中国(元の時代)に渡り(1341年),最初、月江正行に参じ、ついで 金山寺(中国湘江省)の住職であった即休契了(佛通禅師)の下で約10年間修行に励まれ、その法を嗣いだ。
 中国から帰国後(1351), 京都の五山叢林を嫌い, 丹波(現在、京都府福知山)の天寧寺において多くの弟子の育成を行った。春平の要望に応えて佛通寺を創建(1397)するとともに弟子の育成にあたった。応永16年(1409年)87歳天寧寺にて示寂し、佛徳大通禅師と諡号された


    



    


 久しぶりに訪れた仏通寺。しっかりと曇っていた空から雨が落ちてきた。が,思い切って出かけて来た。幹線道路をはずれると季節がら一方通行にされた離合も難しい小さな道。でも,仏通寺に着くとそんなに車は多くなく,近い駐車場に入れることができた。さっそく写真を撮りまくった。今週末あたりが見頃だろうか。人も車も思ったほど多くはなく混雑もなく気持ちよく楽しむことができた。

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