クルトピア栗生祭り  091123

自分を含め、私たちは現在生活している地元のことを、あまり知らないのではないだろうか。

小学生の頃、地元の歴史や言い伝えについて、いくらか学んだ気がする。

しかし、仕事についてからというもの地元のことについて深く知る機会はほとんどなかった。

いや、あっても見逃していたのだろう。

今回、クルトピア栗生で、惹かれる企画を見つけた。

第10回クルトピア栗生祭りの特別企画として劇が2つ上演される。

この劇は、スタッフ・キャストなどすべて地元有志が担当し、創り上げたものだ。

観に行ってみる。



劇T 「孝霊塚物語」

 (1) ストーリー

    栗生、平井地区の若者たちが、自分たちの地域に「孝霊塚」という史跡があることを知った。

   自分たちが生活している地域の二千五百年の歴史と深い文化に驚き、どのように受け入れていくか考える。

   代々の先人が伝えた歴史、その歴史
を忠実に守り子や孫に伝えた親たち、その文化が新しい息吹として

   若者たちに蘇ってくる。

   若者たちもやがて、その子どもや孫たちに伝えていく。

 (2) 孝霊塚とは

              
                     
孝霊塚(南宮神社と神宮寺の中間あたりにある)

    
 南宮神社の主祭人である孝霊天皇の御陵であると言い伝えられている。

   即ち天皇が譲位の後、この所を仙洞として住まわれ、崩御されて築かれた説と御子の吉備津彦命、四道将軍

   として吉備国に滞在中御父 孝霊天皇を偲ばれて、御分霊を祀る御陵を築かれた説との二説がある。


劇U 「扇橋物語」

 (1) ストーリー

    明治15年頃から24年頃の物語。

   この頃、栗生から府中に行くには、芦田川に水の流れる所だけ架かっている橋を渡らなければならなかった。

   これを1本の橋にするようにと村長さんたち関係者で陳情した結果、明治18年めでたく扇橋が完成した。

   そうなると、松永へ行くための道路をこの橋からまっすぐつけると栗生も発展すると村長は考える。

   ところが、その道路予定地に貴重な収入源の米を作る水田が多く含まれていたため住民から反対運動が起こる。

      
           
住民が村長に詰め寄る場面                      終演後のキャスト紹介

   村長は、「畑に桑を植えて養蚕をすれば豊かになる」と粘り強い説得をする。

   やがて住民も理解を示し、道路をつけることに協力をするものが増えていく。

   この道路は、現在なくてはならない幹線道路になっている。

 (2) 扇橋について

      
          明治18年に完成した扇橋                明治末期の扇橋(手前が栗生、芦田川北側に家はまばら)       

   明治18年以前の扇橋は、中州と中州をつなぐように架かっていたらしい。

   明治18年から1本の橋になった。 人々の生活は便利になり、産業も急速に発展してきたようだ。

   また、現在の扇橋は昭和の初めにはできていたらしい。 ということは、85年以上が経過している。

   現在の土木技術では、コンクリート製の橋脚や鉄橋は、耐用年数が50年といわれている。

   芦田川下流域にある福山市の山手橋(扇橋開通以降に架けられた)は、現在架け替え工事が行われ

   新しい山手橋になりつつある。 この扇橋はどうなるのだろう。

   安全性も気になる。事故があってからでは遅い。早急な対策が必要なのではないだろうか。



   この機会に、地域の歴史をことを一部分ではあるが知ることができ、それについて考えることができた。


   
参考資料 : HP「魁斗」より、クルトピア栗生「いにしえの写真展」より

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