八社の祭り    120902



今日は、町内で「八社の祭り」が行われる。 

もともと町内に小さな神社が離ればなれに8ヶ所あり、それぞれの場所で神祭りが行われていた。 

しかし、それでは祭りの準備や各神社への移動も、大変である。 いつの頃からかまとめて1ヶ所で行われるようになった。



今日の祭りは午後3時から、御門神社で行われる。 宮司さんに祝詞をあげてもらうが町内各所にある7社も含めてということになる。

午前中は、町内各所の神社を分担して掃除することになっている。 自分の地域は、井料妙見神社と艮神社を担当する。

朝8時に山奥の井料妙見神社へ集合することになっている。 草刈り機とサライを持って集合する。 打ち合わせ後に作業に入る。






                






境内の除草、本殿の掃除、本殿と拝殿の屋根掃除、拝殿の掃除など分担した仕事をこなしていく。

昨年、この作業中に自分は蜂に刺され、肩を痛め、本職に影響したことがあった。 

刺された時は、大変なことにならなくて良かったと思った。 あまり腫れてもないし気分も悪くないと思っていた。

しかし、次の日から肩が痛くて手が上がらなくなった。 にがい思い出がある。 今日は気をつけよう。

昨年、蜂の巣があったところは避けて作業を進める。

作業中、参道の上に大きな樫の木が被さっていて通りにくくなっていることが話題になる。 これを撤去することになる。

樫の木の上部にロープを掛け、引っ張りながらチェンソーで切り倒そう。

チェンソーで切断を始めると同時にロープで引っ張るが、なかなか倒れない。 どうもチェンソーの調子が良くないようだ。





                





交替でチェンソーを使い、やっと切り倒すことができる。 さらに枝を切り落とし、参道はスッキリする。





                





以上で、井料妙見神社の掃除は終了。 これでお祭りの準備ができました。 次は、艮(うしとら)神社です。

山を下りて、移動する。

艮神社も、それぞれ担当して作業を進める。 雑草やゴミを焼却する。





                





すべて終了すると、すぐ前の小道が休憩場所になる。 冷たいものを飲みながら神社掃除の反省会が始まる。

普段、地元に勤務していない自分にとっては貴重な情報交換の場となる。 

午後の祭りの打ち合わせ、祭りの準備の分担から地域のみなさんの動向まで、あらゆることが話題になる。

今日の話題のメインは、祭りの「世話方」と「当番」の役割についてだろう。

「世話方」は指示をする、 「当番」は準備の実動をするとなっているらしい。

しかし実際は「世話方」があまりすることがないので「当番」と一緒に準備に参加してはどうかという話題で盛り上がった。

この話は、総代に伝えてしかるべき機会に話題にしていただこうということになる。

時代が替われば、その時に合ったやり方に替えてもいいのではないかと思う。

午前中の神社掃除がすべて終了する。 昼からは、当番になっている自分は1時に御門神社に集合することになっている。



午後1時前、担当している準備物を持って、御門神社へ集合する。 打ち合わせの後、さっそく準備に入る。

参拝者のみなさんの暑さ対策にテント2張りとブルーシートを建てる。 本殿と拝殿に縄を張り御弊を飾る。

本殿内に、お供え物(榊、御神酒、米、塩、水)を供える。 座布団を置く。

子ども用のおやつと大人用のおつまみの仕分けをし、懇親会用テントの下に準備する。

町内の戦没者名簿掛軸を掲示する。 玉串を準備する。 等々・・・。 午後2時30分、すべての準備終了。





                





                





午後3時、八社の祭典が始まる。 宮司さんの祝詞(のりと)が始まる。 力強くリズミカルな太鼓の音に合わせて祝詞が続く。

いつも思うことだが、神社で聴く祝詞は、なんとビートがきいているのだろう。 

今でこそ、参拝者は頭を垂れて静の状態で聴いているが、昔は?古代は、ビートのきいた太鼓に合わせて舞い踊っていたのではないだろうか。

仏教のお経とはまったく正反対のイメージがあるのだが・・・。 こう感じるのは自分だけなのだろうか?





                  





祝詞が終わると、次に太平洋戦争の戦没者名簿が読み上げられる。 御遺族の方々が順番に玉串を奉納されている。 

御遺族の方々も戦後六十数年が経過し、当家でも代替わりされている。 沈痛な雰囲気はない。

しかし、戦没者の方々の名前を聞いていると、その方々の屋号が浮かび名前を身近に感じる。 なぜかしら涙腺が緩む。

この小さな町内から、15名の方々が出征され戦死されている。 

玉串奉納中、参拝されている近くの女性と町内で2番目の長老94歳のおじいさんの会話が聞こえてくる。 

女性    「命日が昭和20年8月以降になっている方がおられるのはどういうことですか?」
おじいさん「終戦から何年もしてシベリアで死んだんよう」
女性    「8月6日となっているのは原爆と関係があるのですか?」
おじいさん「原爆でぎょうさん死んだんよう。 あの戦没者名簿にある人の中で、弾丸(たま)に当たって死んだ人は二人ほどよう。
        あとは、シベリアで死んだ人や南方へ行って病気で死んだ人がぎょうさんおったんじゃ」などと聞こえてくる。

94歳のおじいさんにとっては、今読み上げられている人たちは同世代の人ばかりで、幼少の頃一緒に遊んだこともあっただろう。 

これらの会話にも重みがある。 自分には当時の世の中のことは想像もできない。 平和が当たり前の感覚になってしまっている。 

考えさせられる戦没者名簿読み上げの時間になった。 



八社の祭典が終わると、お待ちかねの懇親会です。

初めは、子どもグループと大人グループに分かれて別々のテントで始まった。

しばらくすると子どもグループのテントも大人グループのテントになる。 

子どもはおやつをもらうと走り回って遊んでいるか、早々と帰宅してしまった。 大人たちが子どもグループテントを占領している。

日頃、仕事関係の同業者としかコミュニケーションのない自分にとっては貴重な情報収集の時間になる。

近所の話題、同級生の話題、祭りの当番のことなどいろんなことが話題に上がる。

小学校の同窓会について情報を仕入れる。 小さい小学校だったから当然だが6年間1クラスで過ごした同窓会のことも気になる。



夕方5時を過ぎると、ぼちぼちお帰りの方も出てくる。 最近はこうなのかな? 我が町内の方々の行動としては珍しいことだ。

いつもだったら、午後3時に始まった祭典の懇親会は夜まで続くのではないかな? 

今日は、みなさん明日のことを考えて早めに帰られるようだ。 これは、準備・片付けを担当している当番としては、ありがたい。

5時半になると、片付けを始める。 片付けは早い。 

朝8時から取りかかった八社の祭りもトラブルもなく無事終了することができた。 

世話方・当番のみなさんお世話になりました。 ご苦労様でした。


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